2Dスプライトベースのグラフィックスが死滅した理由

私が思うに、画面上にキャラクターをたくさん出す必要がなくなったのが、一番の理由です。


最近、昔PC用に組んだVGA用力技スプライトエンジンを、1チップマイコンに実装するべく1/4サイズのQVGA用に書き直しています。
その作業の中で、スプライトを最大何枚表示させるかで思案してるのですが、その最中になんとなく気が付いてしまいました。


ゲームっていうものは、ゲームデザイン的な視点からみれば、自機や敵機、主人公やヒロインなど出現キャラクターとの関係性、もしくはその成り行きの一部始終を、操作可能な状態で画面上に表示するもののことです。
この考え方からいけば、一つのシーンに必要になるキャラクターは、プレイヤーである人間が認識可能な程度表示すればいいということになります。
たいていの場合、プレイヤーが敵や仲間としてプレイヤーと同格に把握するキャラクターは片手で数えられる程度、それらに付随する弾や従者、マスコットなど大量に表示されたとしても両手両足の指の数が関の山でしかありません。
ということは、キャラクターの同時表示数はそこそこにして、これらのキャラクターが実在するかのように表現力を上げることが、ゲームの完成度の向上につながると思われます。


んでもって、上述を実現するには、2Dのスプライトて一枚絵をペロっと表示するよりは、3Dモデルで緻密にモデリングして衣類のテクスチャも病的なまでに貼ったキャラクターを用意したほうが得策です。
2Dのスプライトキャラクターを何百枚何千枚と表示したところで、プレイヤーがそのすべてを認識するに至らない。
かえって注視させたいキャラクターだけ一枚表示した方が印象としては強く、費用対効果を考えれば遥かに得策だったりするかもしれません。
複数のスプライトを組み合わせて、大型多色のボスキャラクターを用意する路線もあるが、それ使うスプライトの枚数もせいぜい数十枚とたかがしれたもの。
人がいちいちドットを描いてつくるキャラクターでは、何百枚と投入しようとしたところでとても対応できないし、そんだけ重ねたとしてもパッとみたときのキャラクターの完成度が向上しているか怪しいものである。
最後に残る実現可能な最終手段は、背景に戦艦を大小大量に表示してフリート感を出してみたり、弾幕張って花火打ち上げるくらいなものですが、これらは背景のデコレーションに振ったものでしかなく、キャラクターそのものがよくなったわけではありません。


これらのことを勘案すすると、2Dシステムで大量にスプライトを表示できたとしても、それが緻密に構成された3Dのキャラクター一体の存在感に見合うだけの効果は、おそらく得られない。
一方3Dシステムでは、ポリゴンの表示枚数を増やせば増やすほど、キャラクターのあらゆる細部まで表示設定が行えるようになり、表現力は確実に向上する。


ということで、ファミコン以来ずっと行われてきた2Dベースのスプライトシステム高性能化〜大量表示および高速化〜の路線は終了し、3Dベースでのポリゴンシステムに移行しポリゴン表示枚数の増加にとってかわられましたとさ。

プログラムやハードウェア的な視点では?

めっさ表示枚数増やしたいです。
スプライトダブラーにクアトラー作りたいです。
使われないとしても作りたいよね。
だって、プログラマーに回路技術者の仕事つったらそれじゃん。
私、そのころのとヒトだし。

でもなぁ。

ファミコンよりもはるかにショボかったMSX1でもゲームは成立してたし、そのゲームででてきた主人公に敵のキャラクターは、今でも脳裏に焼き付いていますよ。
プレイヤーがそれと認識すればゲーム制作側としての目論見は成功なわけだから、ハードウェアの制限は実はそれほど重要な問題にならないのかもしれない。