ゲームがつまらなくなった理由2016年度版
作り手側、サービス提供側の目論見が透けて見えるくらいに、俯瞰で付き合えるくらいの精神構造になっちまったからかな。
あとゲームの内容そのものではなく、クリエイターや画師、声優に興味が移ったというか、移るようにマーケティングしてくるのもある意味邪魔くさく面倒くさくてどうでもよくなってくる一因なのかもしれない。
まあでも時代の流れもあるさね
ゲーム機でもスマホでもPCでもテレビでもウォークマンを駆逐したシリコンオーディオでも、なんでもかんでも安くなって、特定ハードのゲーム一本だけに集中するってことが、やりづらくなったってことさ。
ゲームそれ自体も同時並行で複数の要素を頭に浮かべて作業*1するようになり、頭の使い方も複数スレッドで回す必要がでてきたし。
一本だけズカっと挿して、一つのルールのゲームシステムに、一時間を集中して費やす贅沢。
それを、消費する側は手抜きとか要素不足でアプデに期待とか思うようになったし、提供する側もそれだと課金が危ういもっといろいろ付け足せって怒られるようになった。
楽しさはゲームのルールに係る質的なものから、アイテムやキャラクタにイベント画像ほかの収集要素に代表される量的なものにシフトした。
以下、私の昔話なんで、クスクスわらってくださいましよ。
昔のゲームってのは『モノ』でね、ソフトウェアではなかったんですよ。『モノ』なの。
ファミコンだとカセットだったし、MSXやPC98だと立派な箱とカッチョいい冊子マニュアル入りの『モノ』だった。
んでもって、そのモノをおもむろにゲーム機に突っ込むと、OS抜きでいきなりゲームが始まる。
いろいろ単純で簡単で、そして購入した時点でだいたい満足できてた。
電源入れると、メーカーロゴがちろって出た後は直ぐにスタートできた。
終わるときもブチっと電源スイッチおせばいい。
この『モノ』感って最近なかなかない気がする。
ロゴ問題...そして開発/運営者の名前ゲームクリアしても絶対出さない問題
昔のゲームはロゴが少ない。
ゲーム開始前にでるミドルウェアのうっとおしいロゴ、パチンコ屋の下についたなんとかのなんとかとか、日本人が頭悪くてついぞまだ勝てるものが作れてない物理演算のなんたらとか、よくわからんところと合併繰り返したあげく語呂も口に出して言ったときの音もいまいち釈然としない○○製作所の成れの果てがズガーンとでることもない。
そういうものは申し訳なさそうに、サッとでてスッと消える。
ほとんどの場合ボタン押せば即効で消える。
現代のように数秒居座ってインスタよろしくオレオレアピールをしたりなんてことはなかった。
そして最近の最大の不満といえばエンディングがないことですよ。
エンディングがないからいつまでたっても終わらないし、スタッフロールも流れない。
無料課金ゲームの場合は、一部のヘビーユーザにアホほど突っ込ませる格差モデルビジネスモデルで成り立ってるわけで、逆恨みを警戒してか製作スタッフおよび運営スタッフの氏名もなかなか見かけない。
従来型のパッケージ販売されてるソフトとは対照的だ。
この姿勢は、正しい方向性なののか....それとも悪いのか....。
プライバシー保護の一環なんだろうか??
さあ言うぞ!!昔は良かった!!!
いまはたぶんもっといいけどね。
*1:そうさサ行なのさ...