ペテロの葬列

うーんよくわからんかった。


一番面白かったのは第一話の2時間の回、老人がバスジャックして人質と問答を繰り返すうち、彼らとの間に妙な信頼感〜いわゆるストックホルム症候群〜が芽生えるところである。
第一話の盛り上がり方とラストは、いわゆるアメリカンニューシネマ的な、手前勝手でそれなりに有意義な自由な時間を享受することと、それと同時に着々と感じられる破滅へのカウントダウンが、逐一丁寧に描かれていてとても好感触であった。


そのあと、バスジャックの犯人から届いた金により、開放された人質全員がまた自由を失うことになる。
犯人はとっくに撃ち殺されて死んでいるのに、出所のわからない大金によって行動や発言、さらには考え方までコントロールされることになる。
その後、主人公が探偵まがいの調査を進めるうちに、犯人の仕事や生い立ち動機にちゃくちゃくと迫っていく。


これの構成がなんともいえない。
普通ドラマや映画といえば起承転結や序破急にそって、だんだんと盛り上がっていき最後にドでかい事件が一発あって解決して終わるのか一般的な構成だが、このドラマの場合それは第一話にのみ適用されて、他の回は答え合わせというかつじつまあわせと複線回収の注釈を主人公の口から伝えて終いである。
それはそれで斬新なんだけど。


あと最終回はまあある意味衝撃ではある。


おもいっきしネタバレするけども、バスジャックの動機につながる詐欺グループの構成員の上級会員は、自ら下級会員を騙す詐欺を働くと同時に、自身もグループの頂点に位置するトレーナー〜犯人の老人〜から騙されていて、金をせしめる加害者でありながら被害者面をする。
最終回では、主人公の嫁や、会社の花形部署にいて上司が去ったあと飛ばされた元エリート社員も、上記同様に利己的な自らの言動を脇において、己の不幸や不運を盾に被害者意識を出すのである。
詐欺を働いたとかいうあからさまな犯罪行為に手を染めず普通に生活していたとしても、他人を傷つけてるくせに被害者ぶって自己の正当性を訴えるようなことは、世の中にごく普通にあふれている。
つまり誰しもが同じような笑える矛盾を抱えて生きているってことを伝えたかったのかもしれない。


なかなか含みのあるような気がする話だったが、しかしそれが最終回で映像として適当なのか。
単純にみていて映像のみで楽しめるのかっていうと、そりゃ答えはNoとしかいいようがない。


前作の名もなき毒につづいて、ペテロの葬列って見たけど、十分面白かった。
宮部みゆきの作品は、劇場映画的な一発の面白さにはかけるが、ラノベ原作の朗読系アニメみたいな一部始終を逐一確認しながら継続するという能動的な付き合い方が必要とされる面白みはある。