日本人は何を考えてきたのか 第11回 西田哲学の話

ものごとのさまざまをどう考えるのかというのが哲学ってものだとすると、その考え方を机の上の紙の本の中から、まな板の上の鯉をさばくときにどう繋げればいいのかと悩んだ人たちの話*1


西田哲学の考え方はスパコンに似てるなとおもいました。
おのおのの演算コアが他のコアと同調したり競合したりするのを内包しながらも、全体としてはひとつの大きなうねりを生み出しながら動き続ける。
人はおのおのに意思が存在するから、偏りが生じてしまうのはどうしようもないのですが、これを機械の作り物にやらせてみたらどうなるか面白そうです。
禅の修業を積んで、無や空の極致に至るまでのプロセスが必要なさそうですし。


スパコンの次、単純に速く膨大な演算をこなす塊の次のステップになる、自分で考え成長するコンピュータを設計開発するときに、必要となる技術というか考え方なんじゃないかと根拠もなく感じて寝ます。

*1:多分違う