PS4もX-boxOneも実物がローンチされたクリスマスだけど…

困ったことに私はどちらにもときめかない。


いまさらPC…というかパソコンやパソコンゲームについて熱く語りあうというか、自分だけのうっとおしい想いを押し付けあう相手もいなくなって、ネットとLINEの話くらいしかなくなった。
そんな今だからこそ、昔のことを思い返してみると、正直ゲームが三度の飯よりも楽しかったのは17くらいまでだ。
最後にひたすら夢中になったのは、98ではTheATLASとブランディッシュ2で、X68ではグラディウス2グラナダを押しのけてやたら否定されまくってた電波新聞社イースあたりだ。
かといって今のPCゲームに、PC98やX68全盛期に流行ったあまり画面が動かずにマウスでツンツンするタイプのゲームはないし、どっかの意気のあるユーザーが個人的に開発したからといって、そのゲームを楽しむどころか起動してみることすらあやしい。


私はもともとパソコンゲーマーだったので、ゲーム専用機でゲームをすることになんとはなしに違和感がある。
最近の言い方でいうところのアウェイなのだ。
大体私は子供の頃はファミコン禁止だったし、その代わりに買うことを許されたMSXからパソコンゲームに行ったわけでSFCも買ってない。
普通の人間のように、小中学生時代にテレビゲームらしいテレビゲームに嵌って、みんなでワイワイって経験がない。
アーケードのビデオゲームが動くX68を入手したのも18過ぎてからで、グラディウスを動かす前には、バイクや、アルバイトからのカラオケとか、その知り合いが自慢ついでに載せてやるよなドライブなんかの楽しみを知りつつあったので、正直二の次だった。
サターンやPS、ドリームキャストPS2PS3やX-box360なんかも、今でこそ手元にあるが、中古か撤退一年くらい前の大幅値引きが始まってから買ったものばかりだし、ソフトはほとんど中古で買ったのはいいがつんでるものばかりだ。



なんか無理してるのだ。
過去にすがってるのだ。
あの時手に入れられなかったモノを渇望して、結局手にはいらないからほったらかしなのだ。
それがうすうすわかってきてるのだから、そろそろ辞めればいいのだ。


PC98時代のパソコンゲームが好きな子供だったので、いまでもゲームが好きで面白くないと、なんか失ってしまうような恐怖感がある。
ゲームと同様にパソコンやPCもとにかく好きで詳しくありつづけなれば駄目なような気がする。
昔の自分から変わってしまうような気がする。
そもそもいい加減歳喰ってるのだから変わってて当たり前なのだけど。


もはやゲームそのものにときめきを感じないGameOverしてしまった昔のこどもなんだから、無理して面白い!欲しい!!買う!!!って同調する必要はないのだ。
ときめきかんじないわけだし。
缶コーヒー我慢して昼飯100円グレード下げてバスや駅を一駅前で歩いて金貯める若々しさもないわけだし。